カレーのはじまりはいつ?明治5年の料理書には、赤蛙が入っていた
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カレー。日本に残る最も古い作り方の一つに、蛙が入っていました。明治5年(1872年)の料理書『西洋料理指南』です。葱、生姜、にんにくをバターで炒めて水を加え、鶏、海老、鯛、牡蠣、そして赤蛙を入れて煮る。なぜ蛙なのか、本には理由が書かれていません。言葉として日本に届き、粉として海を渡り、ご飯にかかるまでをたどります。

先に結論
- 明治5年(1872年)の料理書『西洋料理指南』にカレーの作り方があります。葱、生姜、にんにくをバターで炒めて水を加え、鶏、海老、鯛、牡蠣、赤蛙を入れて煮る。煮えたらカレーの粉を小さじ一杯、小麦粉でとろみをつける。国立国会図書館の原本で確認しました[1]
- 「カレー」という言葉は、それより前に日本に届いていました。万延元年(1860年)、福沢諭吉の英単語集『増訂華英通語』に「カレー」の語が載ります[2]
- カレーはインドの料理ですが、日本に来たのはイギリス経由でした。明治初期のカレー粉はイギリスからの輸入品で高価だったと、エスビー食品は伝えています[3]
- 明治の終わりには大衆食堂にライスカレーやカレーうどんが並び、国産のカレー粉も売り出されます。1923年(大正12年)には山崎峯次郎が国産カレー粉の製造に成功し、1930年には家庭用の「ヒドリ印カレー粉」が発売されました[3][4][5]
動画版(1分13秒)。映像はAIによる再現イメージです。
① 言葉が先に来た|万延元年の英単語集
万延元年(1860年)、福沢諭吉が英単語集『増訂華英通語』を出します。その中に「カレー」の語がありました。国立国会図書館の展示資料は、日本にカレーが来る前の資料としてこの本を挙げています。食べた記録ではなく、言葉が先でした。[2]
日本でカレーがいつから食べられていたのかは、はっきりしていません。この記事では、記録に残っている順に追いかけます。
② 明治5年の作り方|鶏、海老、鯛、牡蠣、そして赤蛙
明治5年(1872年)、『西洋料理指南』という料理書に、カレーの作り方が書かれます。葱一本、生姜半分、にんにく少々を細かく刻み、バター大さじ一杯で炒めて水を加える。そこへ鶏、海老、鯛、牡蠣、赤蛙などを入れてよく煮る。煮えたらカレーの粉を小さじ一杯入れ、小麦粉大さじ二杯を水で溶いて加え、とろみをつける。[1]
赤蛙は原本にあります。ただし、なぜ蛙を入れるのかは書かれていません。当時の西洋料理の材料として並べられていたと考えるのが自然ですが、本から分かるのは「入っていた」という事実までです。[1]
同じ明治5年の『西洋料理通』にもカレーが載っているとされますが、この記事では原本を確認した『西洋料理指南』で語っています。国立国会図書館は、この2冊を日本に残る最も古いカレーの資料の一つと位置づけています。[2]
③ イギリス経由の粉|高価な輸入品だった
カレーはインドの料理です。しかし日本に来たのはイギリス経由でした。インドで香辛料を組み合わせて作っていたものが、イギリスで「カレー粉」という形になり、明治の文明開化とともに西洋料理として日本に紹介されたと、エスビー食品は伝えています。[3]
『西洋料理指南』の作り方にも「カレーの粉」とあります。明治初期のカレー粉はイギリスからの輸入品で、高価なものでした。[1][3]
粉で買われていた記録は、北の学校にも残っています。明治10年(1877年)7月、札幌農学校の公文書に、買い上げの品として「カレイ粉 三ダース」が記されています。明治14年の記録には、夕食の洋食として「隔日にライスカレー」とあります。[6]
④ 国産の粉|明治の終わりから昭和の台所へ
明治の終わりには、大衆食堂のメニューにライスカレーやカレーうどんが並ぶようになります。国産のカレー粉も売り出されました。ハチ食品は、1905年(明治38年)に国産カレー粉を発売したと伝えています。[3][5]
1923年(大正12年)、山崎峯次郎が試行錯誤の末に国産カレー粉の製造に成功し、浅草七軒町に日賀志屋を創業します。これが現在のエスビー食品です。1930年(昭和5年)には家庭用の「ヒドリ印カレー粉」を発売し、カレー粉が家庭の台所に並ぶようになりました。[4]
国産カレー粉の「日本初」は、ハチ食品とエスビー食品がそれぞれ公式に名乗っています。この記事では、どちらも「日本初」とは書いていません。
「日本初」と伝承をどう読むか
資料から確認できること
明治5年の『西洋料理指南』にカレーの作り方があり、材料に赤蛙が含まれることは、国立国会図書館の原本で確認できます。万延元年の『増訂華英通語』に「カレー」の語があることは、国立国会図書館の展示資料にあります。明治10年の札幌農学校の公文書に「カレイ粉」の買い上げの記録があることは、北海道大学が公式に説明しています。1923年の山崎峯次郎の国産カレー粉と1930年の家庭用カレー粉は、エスビー食品の社史にあります。[1][2][6][4]
現時点では断定できないこと
日本でカレーが食べられ始めた時期は分かっていません。赤蛙を入れた理由は本に書かれていません。国産カレー粉の「日本初」は、ハチ食品(1905年)とエスビー食品(1923年)がそれぞれ名乗っているため、どちらとも断定していません。「生徒は米飯を食すべからず、但しライスカレーはその限りに非ず」というクラーク博士の話は広く伝わっていますが、北海道大学は、クラーク博士とカレーを結びつけるはっきりとした史料は残っていないと説明しています。そのため、この記事と動画では触れていません。[6]
カレーの年表
今夜の一皿に、蛙はもう入っていない
インドに生まれ、イギリスで粉になり、日本でご飯にかかった。明治5年の料理書で鶏や海老や鯛と並んでいた赤蛙は、いまのカレーには入っていません。[1][3]
山崎峯次郎の作ったカレー粉は、1950年に「赤缶カレー粉」として発売され、いまも台所に並んでいます。動画の最後に出てくる一皿は、その粉から始まった家庭のカレーの再現イメージです。[4]
むすび
万延元年に言葉として届き、明治5年に作り方が書かれ、粉が海を渡り、やがて国産の粉が台所に並んだ。明治の料理書に赤蛙がいた理由は、いまも分かりません。それでも今夜の一皿に蛙は入っていません。
出典・参考資料
- [1]敬学堂主人『西洋料理指南 下』(雁金書屋・明治5年)国立国会図書館デジタルコレクション一次史料 カレーの製法。葱・生姜・蒜をバターで炒めて水を加え、鶏・海老・鯛・蠣・赤蛙を煮て、カレーの粉と小麦粉を加える 該当箇所:31コマ目「○「カレー」ノ製法」 / 閲覧日 2026-10-18 資料を見る
- [2]国立国会図書館 常設展示 第129回「暮らしを変えた新製品:身近なモノがデビューした頃」公的機関 万延元年の福沢諭吉『増訂華英通語』に「カレー」の語があること。『西洋料理指南』『西洋料理通』を最も古いカレーの資料の一つとする位置づけ / 閲覧日 2026-10-18 資料を見る
- [3]エスビー食品 スパイス&ハーブ総合研究所「カレー粉」当事者資料 インド生まれのカレーがイギリスで粉になり西洋料理として日本に紹介されたこと。明治初期の粉は輸入品で高価だったこと。明治末の大衆食堂のメニュー / 閲覧日 2026-10-18 資料を見る
- [4]エスビー食品「社史・沿革」当事者資料 1923年の山崎峯次郎による国産カレー粉の製造成功と浅草七軒町での創業。1930年の家庭用「ヒドリ印カレー粉」。1950年の「赤缶カレー粉」 / 閲覧日 2026-10-19 資料を見る
- [5]ハチ食品「元祖カレーメーカーの歩み」当事者資料 1905年(明治38年)に国産カレー粉を発売したという同社の説明 / 閲覧日 2026-10-18 資料を見る
- [6]北海道大学「FAQ よくある質問と回答」クラーク博士とカレーライスについて公的機関 明治10年の「カレイ粉 三ダース」と明治14年の「隔日ニライスカレー」の記録。クラーク博士とカレーを結びつける史料は残っていないという説明 / 閲覧日 2026-10-19 資料を見る
公開:2026年10月19日
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