カップヌードルのはじまりはいつ?はじまりは、紙コップに割り入れられた麺だった

※この記事にはアフィリエイト広告を含みます。

カップヌードル。はじまりは紙コップに割り入れられた麺でした。1966年、安藤百福がアメリカでチキンラーメンを売り込むと、相手は麺を小さく割って紙コップに入れ、湯を注いでフォークで食べました。どんぶりも箸もない国です。安藤は麺をカップに入れて売ることを思いつきます。発売から店頭に並ぶまで、そしてテレビに映るまでをたどります。

AIによる再現イメージ。当時の記録写真ではありません。

先に結論

  • 1966年の欧米視察で、スーパーの担当者がチキンラーメンを小さく割って紙コップに入れ、フォークで食べました。安藤百福はこれをヒントに、麺をカップに入れてフォークで食べる新製品の開発を始めました[1]
  • 容器は発泡スチロール。麺はカップの底より大きく作ってカップの中間で止め、麺を伏せて置いて上からカップをかぶせる方法で量産できるようになりました[1]
  • 1971年9月18日に発売。内容量84g、小売100円、フォーク付き。袋麺が25円の時代で、立ったまま食べるのは良風美俗に反するという意見もあり、店頭にはなかなか並びませんでした[1][2]
  • お湯の出る自動販売機は1年で全国2万台、銀座の歩行者天国の試食販売は多い日に2万食。1972年2月、山荘を取り囲む機動隊員が食べる姿がテレビに映ってから一気に売れ、2021年には世界累計500億食に達しました[1][3]

動画版(1分12秒)。映像はAIによる再現イメージです。

① 紙コップの麺|1966年のアメリカで

1966年、安藤百福はチキンラーメンを世界に広めようと欧米へ視察に出かけます。現地のスーパーの担当者たちはチキンラーメンを小さく割って紙コップに入れ、湯を注いでフォークで食べました。アメリカにはどんぶりも箸もない。安藤はここで、インスタントラーメンを世界の食べものにする鍵は食習慣の違いにあると気づきました。日清食品グループの社史はそう伝えています。[1]

この経験をヒントに、麺をカップに入れてフォークで食べる新製品の開発が始まりました。[1]

② 容器と量産|麺を伏せてカップをかぶせる

開発は容器を作ることから始まりました。片手で持てる大きさの容器を探して試作は40種類近く。採用されたのは紙コップを大きくした形で、素材は軽くて断熱性の高い発泡スチロールでした。当時の日本では珍しい素材で、安藤はアメリカの技術を入れて自社で容器を作ることにしました。[1]

次の問題は麺をカップに収めることでした。カップは上が広く下が狭い。麺を小さくすれば入りますが、輸送中に揺れて壊れます。そこで麺をカップの底より大きく作り、中間で固定する方法をとりました。それでも麺を上から入れると傾いたり、ひっくり返ったりします。安藤が思いついたのは、麺を下に伏せて置き、上からカップをかぶせることでした。この方法で工場での大量生産ができるようになりました。[1]

日本即席食品工業協会はこの容器を「包装材であり、調理器であり、食器」と説明しています。内容量84g、1食ごとにフォークが付いていました。[2]

③ 100円の壁|自動販売機と歩行者天国

1971年(昭和46年)9月18日、カップヌードルが発売されます。値段は100円。袋麺が25円の時代です。立ったまま食べるのは良風美俗に反するという意見もあり、店はなかなか並べてくれませんでした。[1][2]

そこで日清食品は自分で売る場所を作りました。買ったその場で熱いお湯を注げる自動販売機は話題を呼び、1年で全国に2万台。若者の集まる銀座の歩行者天国で試食販売をすると、多い日には2万食を売り尽くしたと社史は伝えています。[1]

銀座での試食販売の日付と、発売初日の売り場については公式資料で確認できなかったため、この記事では書いていません。

④ テレビに映った湯気|1972年2月から

1972年(昭和47年)2月、あさま山荘事件のテレビ中継で、山荘を取り囲む警視庁機動隊員がカップヌードルを食べている様子が映りました。思いがけず全国の視聴者の目に触れ、そこから「羽が生えたように売れ出した」と社史は書いています。この記事と動画では、事件の経緯には触れていません。[1]

カップめんの生産量は発売翌年の1972年に1億食、1975年には11億食に増えました。1973年までに日清食品のほか14社がカップめんに参入しています。[2]

カップヌードルは1973年にアメリカへ渡り、2021年には世界累計販売500億食、販売する国は100カ国になりました。[1][3]

「世界初」と社史をどう読むか

資料から確認できること

1971年9月18日の発売、100円という価格、発泡スチロールの容器、フォーク付きという事実は、日清食品グループの社史と日本即席食品工業協会の資料が一致しています。1972年以降のカップめんの生産量と参入社数は業界団体の資料に、2021年の世界累計500億食は日清食品の発表にあります。[1][2][3][4]

現時点では断定できないこと

1966年の紙コップの逸話、容器開発の経緯、自動販売機の台数、歩行者天国の売上、あさま山荘事件から売れ始めたという経緯は、いずれも日清食品グループの社史に拠る当事者の記録です。独立した資料での検証はしていません。「世界初のカップ麺」は日清食品の説明のため、この記事と動画ではその言い方をしていません。銀座の試食販売の日付と発売初日の売り場は公式資料で確認できていません。[1][3]

カップヌードルの年表

1966年(昭和41年)

欧米視察で紙コップに割り入れた麺を見る

分類:原型・変化確度:有力

スーパーの担当者がチキンラーメンを割って紙コップに入れ、フォークで食べた。社史が伝える発想のきっかけ。 [1]

1971年(昭和46年)9月18日

カップヌードル発売

分類:普及・商品化確度:確認できる

発泡スチロールの容器、84g、フォーク付き、100円。袋麺は25円の時代。 [1][2][4]

1971〜72年

お湯の出る自動販売機と銀座の歩行者天国

分類:普及・商品化確度:有力

自動販売機は1年で全国2万台。歩行者天国では多い日に2万食。 [1]

1972年(昭和47年)2月

テレビ中継に機動隊員が食べる姿が映る

分類:普及・商品化確度:有力

あさま山荘事件の中継。そこから一気に売れ始めたと社史は伝える。 [1]

1973年(昭和48年)

アメリカへ進出。国内では14社が参入

分類:普及・商品化確度:有力

「Cup O'Noodles」の名で米国へ。カップめん市場に日清のほか14社。 [1][2]

2021年(令和3年)

世界累計販売500億食

分類:現在・継承確度:有力

発売50年目。販売する国は100カ国と日清食品は発表した。 [3]

現在

フォークのために生まれた麺を、箸ですする

分類:現在・継承確度:確認できる

アメリカの食習慣から生まれた形が、日本の夜食になった。 [1]

フォークのために生まれた麺を、箸ですする

どんぶりも箸もない国の食べ方から生まれた形が、いまは日本の台所で箸ですすられています。動画の最後の場面はその再現イメージです。[1]

映像のカップは文字のない白い容器で表しています。実際の商品のデザインは描いていません。

むすび

1966年に紙コップの麺を見て、容器を作り、麺を伏せてカップをかぶせ、1971年に100円で売り出し、自動販売機と歩行者天国で広め、1972年にテレビに映った。フォークのために生まれた麺を、今夜は箸ですすります。

出典・参考資料

  • [1]日清食品グループ「安藤百福クロニクル」当事者資料 1966年の欧米視察で紙コップに割り入れた麺を見たこと。容器の試作40種近く、発泡スチロール、中間保持法、麺を伏せてカップをかぶせる発想。1971年9月18日発売、袋麺25円の時代に100円、良風美俗に反するという意見。お湯の出る自動販売機が1年で2万台、銀座の歩行者天国で多い日2万食。1972年2月のあさま山荘事件のテレビ中継で機動隊員が食べる様子が映ったこと。1973年の米国進出 / 閲覧日 2026-10-20 資料を見る
  • [2]一般社団法人 日本即席食品工業協会「カップめん登場と国際化」当事者資料 1971年9月発売、内容量84g、発泡スチロール容器、小売100円、フォーク添付。容器は包装材・調理器・食器の3機能。1973年までに参入14社。カップめん生産量は1972年1億食から1975年11億食 / 閲覧日 2026-10-20 資料を見る
  • [3]日清食品 ニュースリリース「『カップヌードル』ブランドが、発売50年目に世界累計販売500億食を達成」(2021年8月25日)当事者資料 世界累計販売500億食、世界100カ国で販売。「世界初のカップ麺」という同社の説明 / 閲覧日 2026-10-20 資料を見る
  • [4]nippon.com「今日は何の日:9月18日」二次資料 1971年9月18日に日清食品がカップヌードルを発売したこと / 閲覧日 2026-10-20 資料を見る

公開:2026年10月22日

誤りや参考になる資料がありましたら、お問い合わせからお知らせください。訂正・更新した内容は、この欄に記録します。