チキンラーメンのはじまりはいつ?全財産を失った47歳の、裏庭の小屋から
※この記事にはアフィリエイト広告を含みます。
1958年(昭和33年)8月25日、チキンラーメンが発売されました。発明者の安藤百福は、その前年、47歳で全財産を失っています。自宅の裏庭に建てた小屋で何を試し、どう完成にたどり着いたのか。発売までの1年を、日清食品グループの公式記録からたどります。

先に結論
動画版(1分10秒)。映像はAIによる再現イメージです。
全財産を失った47歳
1957年(昭和32年)、安藤百福は理事長を務めていた信用組合の破綻によって財産のすべてを失います。手元に残ったのは、大阪府池田市の借家だけでした。[1]
日清食品グループの公式記録には、このときの百福の言葉が残っています。「失ったのは財産だけ。その分、経験が血や肉となって身についた」。[1]
百福は自宅の裏庭に小屋を建て、たった一人で即席めんの研究を始めます。睡眠は1日平均4時間、1日の休みもなく、丸1年続いたと記録されています。[1]
ヒントは台所の天ぷらだった
製法のヒントになったのは、妻が台所で揚げていた天ぷらでした。熱い油に入れると、衣が泡を立てて水分をはじき出します。この現象を麺に応用したのが「瞬間油熱乾燥法」です。[1]
麺を油で揚げて乾燥させると、保存がきくようになり、お湯をかければ元に戻ります。チキンラーメンに使われたこの製法は、いまも即席めんの基本技術です。[1]
「魔法のラーメン」と呼ばれた
1958年8月25日、チキンラーメンが発売されます。1食35円。うどん玉1つが6円の時代ですから、決して安くはありません。[1]
それでも、お湯をかけるだけで食べられる麺は「魔法のラーメン」と呼ばれ、工場の前には問屋のトラックが列を作ったと記録されています。[1]
百福は91歳で、宇宙食ラーメンを開発すると宣言しました。2005年7月、開発した「スペース・ラム」がスペースシャトルで宇宙へ運ばれています。[1]
日清食品グループの記録で分かること
資料から確認できること
日清食品グループの公式社史「安藤百福クロニクル」には、信用組合の破綻で財産を失ったこと、裏庭の小屋で丸1年研究したこと、天ぷらから瞬間油熱乾燥法を思いついたことが記されています。1958年8月25日の発売、うどん玉6円の時代に1食35円だった価格、「魔法のラーメン」の呼び名、2005年の宇宙食についても同じ社史で確認できます。[1]
現時点では断定できないこと
この記事は主に、当事者である日清食品グループの社史に基づいています。「世界初のインスタントラーメン」という表現も同社の説明に従いました。百福の言葉には資料による表記の違いがあります。「お湯をかけて何分」という調理時間も資料によって異なるため、ここでは記していません。
チキンラーメンの年表
池田の記念館に残るもの
百福が即席めんを研究した裏庭の小屋は、大阪府池田市の「カップヌードルミュージアム 大阪池田(安藤百福発明記念館)」に再現されています。[2]
池田市はチキンラーメン発祥の地として百福の足跡を伝えており、記念館では小屋のほか、即席めんの歴史をたどる展示を見ることができます。[2][3]
むすび
47歳で全財産を失った百福が、裏庭の小屋で研究したチキンラーメン。いまでは世界中の台所で食べられています。
出典・参考資料
公開:2026年9月3日
2026年9月7日:導入・見出し・本文の表現を整理しました。出典と、伝承・未確認事項についての注記は残しています。
誤りや参考になる資料がありましたら、お問い合わせからお知らせください。訂正・更新した内容は、この欄に記録します。