餃子のはじまりはいつ?焼くのは、余った餃子の食べ方だった

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餃子。中国では茹でて食べるのが基本です。焼くのは余った餃子の食べ方だと浜松餃子学会は説明しています。日本で焼き餃子が広まったのは戦後でした。中国から引き揚げた人たちの屋台から、宇都宮と浜松、冷凍ギョーザ、そして毎年入れ替わる日本一争いまでをたどります。

AIによる再現イメージ。当時の記録写真ではありません。

先に結論

  • 中国では水餃子や蒸し餃子が主流で、焼き餃子は少数派です。大晦日に水餃子を食べ、残りを正月に焼く風習があると浜松餃子学会は説明しています[6][2]
  • 日本で焼き餃子が広まったのは戦後です。中国方面から引き揚げた人たちが、覚えてきた餃子を屋台で焼いて売りました[2]
  • 宇都宮市は、市内に司令部を置いた陸軍第14師団の中国出兵がきっかけと伝えています。諸説あると断ったうえでの説明です。浜松では駅前の屋台にフライパンしかなく、一度にたくさん焼くために円く並べて焼きました[1][2]
  • 1972年(昭和47年)、味の素が冷凍のギョーザを売り出し、餃子は家で焼くものになりました。総務省の家計調査では2025年の1位が浜松市、2位が宇都宮市、3位が宮崎市で、この順位は毎年入れ替わります[3][4][5]

動画版(1分7秒)。映像はAIによる再現イメージです。

① 中国では茹でる|余った餃子の食べ方

中国では水餃子や蒸し餃子が主流で、日本式の焼き餃子は少数派です。味の素冷凍食品の説明として、東洋経済オンラインがそう伝えています。[6]

焼き餃子はどこから来たのか。浜松餃子学会の会長はこう書いています。中国では大晦日に水餃子を食べ、残った餃子を正月に焼いて食べる風習がある。焼くのは余った餃子の食べ方でした。[2]

日本で焼き餃子が主流になった理由については、小麦粉の節約や持ち帰りのしやすさなどが挙げられますが、同じ文章がいずれも推察で立証は難しいと書いています。この記事では理由を言いません。[2]

② 戦後の屋台|引き揚げた人たちが焼いた

日本で焼き餃子が広まったのは戦後です。中国方面から復員した人たちが、向こうで覚えた餃子を商売にしました。屋台で焼いて売る。浜松餃子学会はそう説明しています。[2]

裸電球とフライパンの屋台から、焼き餃子は日本の食べものになっていきます。

③ 宇都宮と浜松|諸説と円形焼き

宇都宮市は餃子のまちになった経緯をこう伝えています。市内に司令部を置いていた陸軍第14師団が中国に出兵したことで餃子を知り、帰郷後に広まったことがきっかけと言われている。市自身が「諸説あり」と断ったうえでの説明です。[1]

浜松では駅前の屋台にフライパンしかありませんでした。一度にたくさん焼くために円く並べて焼いた。これが浜松の円形焼きの始まりだと浜松餃子学会は説明しています。真ん中にもやしを添えるのは、あとからの工夫です。[2]

④ 冷凍ギョーザと家計調査|家で焼く、町で競う

1972年(昭和47年)3月、味の素が「味の素KKの冷凍食品」を発売します。発売当時の品にギョーザがありました。餃子は家で焼くものになりました。[3]

餃子に一年でいくら使うか。総務省の家計調査に「ぎょうざ」の項目があります。2025年は浜松市が4,046円で1位、3年連続です。2位は宇都宮市の3,575円、3位は宮崎市の3,418円でした。[4][5]

宇都宮市は2010年まで15年続けて1位でした。この順位は毎年入れ替わります。余った餃子の食べ方だった焼き餃子を、いまは町が日本一を競っています。[1]

「最初」と伝承をどう読むか

資料から確認できること

中国で焼き餃子が少数派であることは東洋経済オンラインが味の素冷凍食品の説明として伝え、余った餃子を焼く風習と戦後の屋台、浜松の円形焼きは浜松餃子学会の文章にあります。宇都宮の由来は宇都宮市が公式に説明し、1972年の冷凍ギョーザは味の素グループの年表に、2025年の家計調査の順位は浜松市の報道発表と毎日新聞にあります。[6][2][1][3][4][5]

現時点では断定できないこと

日本で焼き餃子が主流になった理由は推察で、浜松餃子学会も立証は難しいとしています。宇都宮の由来は市が諸説ありと断っています。水戸光圀が「福包」という餃子を食べたという話が広く伝わっていますが、拠り所とされる『舜水朱氏談綺』の原典を確認していないため、この記事では触れていません。「日本で最初に餃子を食べた人」も「日本初の冷凍餃子」も書いていません。[7]

餃子の年表

戦後(1940年代後半)

引き揚げた人たちが屋台で焼き餃子を売る

分類:普及・商品化確度:有力

中国方面からの復員兵が商売として始めたと浜松餃子学会は説明する。 [2]

戦後(宇都宮)

第14師団の出兵がきっかけで餃子が広まる

分類:伝承・発祥説確度:諸説あり

宇都宮市が伝える由来。市は「諸説あり」と断っている。 [1]

戦後(浜松)

屋台のフライパンで円く並べて焼く

分類:原型・変化確度:有力

一度にたくさん焼く工夫。もやしは後からの付け合わせ。 [2]

1972年(昭和47年)

味の素が冷凍のギョーザを発売

分類:普及・商品化確度:有力

3月に「味の素KKの冷凍食品」を発売。餃子は家で焼くものになった。 [3]

2010年(平成22年)

宇都宮市が家計調査で15年連続1位

分類:文献の記録確度:確認できる

1996年から2010年まで。以後は順位が入れ替わる。 [1]

2025年(令和7年)

家計調査で浜松市が1位、宇都宮市が2位、宮崎市が3位

分類:文献の記録確度:確認できる

浜松市は4,046円で3年連続の1位。 [4][5]

現在

今夜の餃子は余りものではなく、主役

分類:現在・継承確度:確認できる

中国では茹でる。日本では焼く。 [2][6]

今夜の餃子は余りものではなく、主役

中国では茹でる。日本では焼く。余った餃子の食べ方だった焼き餃子は、日本では最初から焼くつもりで包む料理になりました。[2][6]

動画の冒頭と最後に出てくる羽根つきの餃子は、AIによる再現イメージです。特定の店や商品を描いたものではありません。

むすび

余った餃子を焼いていた食べ方が、戦後の屋台で日本に根づき、宇都宮と浜松で町の味になり、1972年に家庭の冷凍庫へ入り、いまは日本一を競っている。中国では茹でる。日本では焼く。今夜の餃子は余りものではなく、主役です。

出典・参考資料

  • [1]宇都宮市「餃子のまち」公的機関 餃子のまちになった経緯(諸説あるが第14師団の中国出兵がきっかけと言われる)。家計調査で2010年まで15年連続日本一 / 閲覧日 2026-10-20 資料を見る
  • [2]浜松餃子学会「浜松餃子の歴史と特徴」(会長 齋藤公誉)当事者資料 中国では大晦日に水餃子を食べ残りを正月に焼く風習。戦後に中国方面からの復員兵が商売として焼き餃子を始めたこと。屋台のフライパンで円形に焼いたこと。焼き餃子になった理由は推察で立証は難しいという記述 / 閲覧日 2026-10-20 資料を見る
  • [3]味の素グループ「年表」当事者資料 1972年3月「味の素KKの冷凍食品」発売。発売当時の品に「味の素KKのギョーザ」 / 閲覧日 2026-10-20 資料を見る
  • [4]浜松市 報道発表「総務省家計調査『ぎょうざ』部門 浜松市の餃子購入額が3年連続日本一」(2026年2月6日)公的機関 2025年の年間支出4,046円で1位・3年連続 / 閲覧日 2026-10-20 資料を見る
  • [5]毎日新聞「浜松市、年間ギョーザ購入額3年連続で日本一」(2026年2月6日)報道 2位宇都宮市3,575円・3位宮崎市3,418円 / 閲覧日 2026-10-20 資料を見る
  • [6]東洋経済オンライン「味の素、冷凍ギョーザが担う世界戦略の重責」(2017年9月7日)報道 中国では水ギョーザや蒸しギョーザが主流で焼きは少数派という味の素冷凍食品の説明 / 閲覧日 2026-10-20 資料を見る
  • [7]JBpress「実は日本だけ?『餃子と言えば焼き餃子』」(2012年9月14日)報道 『舜水朱氏談綺』に水戸光圀の「福包」の記述があるとする説明。有料部分と原典は未確認 / 閲覧日 2026-10-20 資料を見る

公開:2026年10月21日

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