握り寿司のはじまりはいつ?元は、ご飯を捨てて食べる保存食だった
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すしの源流とされるなれずしでは、魚を保存するために飯を使っていました。飯を取り除き、魚だけを食べるものもあります。江戸の屋台で「その場で握って出す」寿司が生まれるまで、材料も作り方も変わってきました。

先に結論
動画版(42秒)。映像はAIによる再現イメージです。
発酵の保存食だった「すし」
すしの源流とされるなれずしは、塩漬けにした魚を米飯と漬け込み、乳酸発酵させた食品です。名前は、発酵が進むにつれて「馴れる」ことに由来します。この方法で、腐りやすい魚を年間を通じて食べられるようにしていました。[3][1]
飯には発酵を進める役割がありました。長期発酵の「本なれ」と呼ばれるタイプでは、飯を取り除き、魚だけを食べたとされます。いまのすしのように、ご飯も一緒に食べるとは限らなかったのです。[1]
なれずしの代表格が、琵琶湖のふなずしです。滋賀県では祭礼の神饌として奉納されるなど、いまも食文化として続いています。[3]
飯も食べるなまなれ、酢飯を使う早ずし
室町時代には、発酵期間を短くした「なまなれ」が生まれます。魚を保存するだけでなく、飯も一緒に食べるようになりました。[1]
江戸時代に主流になるのが、酢飯を使う「早ずし」です。何か月も発酵を待つ必要がなく、作ったその日に食べられました。[1]
江戸の屋台の一貫
握り寿司は、文政年間(1818〜30年)の江戸で生まれたとされます。有名なのは両国の華屋与兵衛(与兵衛寿司)が考案したという説ですが、深川の堺屋松五郎(松ヶ鮨)を挙げる説もあり、断定はできません。[2][1]
当時の握り寿司は、屋台で客の前で握って出す、立ち食いの食べ物でした。一貫の大きさはいまの2〜3倍だったとされます。手早く食べられる屋台の料理が、やがて日本を代表する料理として知られるようになりました。[2]
「握り寿司のはじまり」はどこまで確かなのか
すしの年表
二つのすしの現在
琵琶湖のふなずしは滋賀の食文化財に選ばれ、いまも祝いの席に上ります。なれずしを食べる習慣が、この土地に残っています。[3]
江戸の屋台で生まれた握り寿司は、回転寿司などでも親しまれ、世界にも広がりました。二千年級の歴史のなかで作り方は変わり、いまも発酵させるすしと、その場で握るすしの両方が食べられています。[3][2]
むすび
魚を保存するために飯を使うなれずしから、飯も食べるなまなれ、酢飯を使う早ずしへ。その変化の先に、江戸の握り寿司があります。
出典・参考資料
公開:2026年9月4日
2026年9月7日:導入・見出し・本文の表現を整理しました。出典と、伝承・未確認事項についての注記は残しています。
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