日本のビールのはじまりはいつ?
キリンが生まれた横浜の谷と、無名の醸造家

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日本のビールの源流は、横浜の湧き水の谷にあります。開いたのはウィリアム・コープランド。成功して、倒産して、その跡地から日本を代表するビールが生まれました。キリンの歴史資料と報道からたどります。

先に結論

  • ノルウェー生まれのウィリアム・コープランドは1864年に来日し、1870年、横浜山手の湧き水の地・天沼に「スプリングバレー・ブルワリー(泉の谷の醸造所)」を建てました[2][1]
  • キリンの歴史資料は、コープランドを「日本で初めて産業として継続的にビールを醸造した人物」と位置づけています。「日本初のビール」ではなく「初めて、造り続けた」です[1][3]
  • ビールは馬車で横浜の街を売り歩かれ、居留地の外国人に不可欠になり、東京・長崎・函館、さらに上海や香港へも出荷されました。工場には、できたてを飲ませる「ビヤサルーン」もありました[1]
  • 1884年、スプリングバレーは経営難で閉鎖。しかしその跡地にジャパン・ブルワリーが設立され、1888年、「キリンビール」が発売されます[1]

1分の動画版。映像はAIによる再現イメージです。

泉の谷の醸造所

1870年、コープランドが選んだのは、横浜山手の天沼——良質な湧き水が出る谷でした。醸造所の名は「スプリングバレー・ブルワリー」。泉の谷、そのままの名前です。[2][1]

仕込みは冷える冬(10〜3月)だけ。泉の水車で麦を挽き、パスツールが低温殺菌法を発表した翌年の1877年にはこれを導入するなど、当時の最先端を追いかけた醸造でした。[1]

ビールは馬車で1日2回、横浜の街を売り歩かれました。居留地の外国人たちの生活に欠かせない存在になり、販路は東京・長崎・函館、海を越えて上海・香港・東南アジアにも広がりました。のちには日本人向けのビールも造られています。[1]

工場のビヤサルーン

スプリングバレーの敷地には、できたてのビールを飲ませる小さな建物「ビヤサルーン」がありました。工場でつくり、その場で飲ませる——ビアガーデンの先駆けといわれる仕組みです。[1]

「日本初のビアガーデン」とまでは言い切れませんが、「できたての生を飲む」楽しみの源流の一つが、この谷にあったことは確かです。[1]

倒産の跡地から、キリンが生まれた

1884年、スプリングバレー・ブルワリーは経営難で閉鎖します。コープランドの挑戦は、事業としては失敗に終わりました。[1]

しかし物語はここで終わりません。その跡地に新会社ジャパン・ブルワリーが設立され、1888年、「キリンビール」が発売されます。日本を代表するビールは、無名の醸造家が選んだ泉の谷から生まれました。[1]

キリンは現在、「SPRING VALLEY」の名をクラフトビールのブランドとして受け継いでいます。[4]

「日本のビール発祥」はどこまで確かなのか

資料から確認できること

コープランドが1870年に横浜・天沼にスプリングバレー・ブルワリーを建てたこと、1884年の閉鎖、跡地でのジャパン・ブルワリー設立と1888年のキリンビール発売——キリンの歴史資料に記載されています。2023年の121年忌に墓前へ献酒が行われたことは神奈川新聞が報じています。[1][2][3]

現時点では断定できないこと

「日本初のビール醸造」とは言えません(それ以前にも小規模な醸造はありました)。キリン公式も「日本で初めて産業として継続的に醸造」という表現です。「日本初のビアガーデン」も言い切れず「先駆けといわれる」に留めます。コープランドの晩年の詳細も資料が少なく、この記事では扱っていません。

日本のビールの年表

1870年

スプリングバレー・ブルワリー開設

分類:普及・商品化確度:確認できる

コープランドが横浜・天沼の湧き水の谷に建設。産業としての醸造が続き始める。 [2][1]

1877年

低温殺菌法を導入

分類:原型・変化確度:確認できる

パスツールの発表の翌年に取り入れる。冬仕込み・泉の水車の醸造。 [1]

1884年

経営難で閉鎖

分類:原型・変化確度:確認できる

コープランドの事業は失敗に終わる。 [1]

1888年

跡地から「キリンビール」発売

分類:普及・商品化確度:確認できる

ジャパン・ブルワリーが設立され、泉の谷からキリンが生まれた。 [1]

2023年

121年忌にも墓前へ献酒

分類:現在・継承確度:確認できる

「日本のビール産業の祖」として、横浜外国人墓地の墓にビールが供えられた。 [3]

泉の谷のいま

コープランドは1902年に亡くなり、横浜外国人墓地に眠っています。「日本のビール産業の祖」として、いまも命日にはその墓前にビールが供えられます(2023年の121年忌の献酒が報じられています)。[3]

そして「SPRING VALLEY」の名は、キリンのクラフトビールブランドとして現在に受け継がれています。乾杯のジョッキの源流は、横浜の泉の谷にあります。[4]

むすび

日本のビールは、成功者ではなく、倒産した無名の醸造家の谷から始まりました。その名は泉の谷——スプリングバレーとして、いまもラベルに生きています。

出典・参考資料

  • [1]キリン歴史ミュージアム「歴史人物伝・コープランド」当事者資料 来日・醸造の実際(冬仕込み・水車・低温殺菌)・販路・ビヤサルーン・閉鎖とキリン誕生・「日本で初めて産業として継続的に醸造」の表現 / 閲覧日 2026-08-27 資料を見る
  • [2]キリン歴史ミュージアム「1870年 スプリングバレー・ブルワリー開設」当事者資料 1870年の建設と天沼の立地 / 閲覧日 2026-08-27 資料を見る
  • [3]神奈川新聞(カナロコ)2023年記事報道 121年忌の墓前献酒・「日本のビール産業の祖」としての顕彰 / 閲覧日 2026-08-27 資料を見る
  • [4]キリン「SPRING VALLEY」ブランドサイト当事者資料 ブランド名の継承 / 閲覧日 2026-08-27 資料を見る

公開:2026年9月4日

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