日本のビールのはじまりはいつ?来た、味わった、醸した、売った、飲ませた。
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日本で最初のビールは、いつ、誰が造ったのでしょう。船で運ばれてきた一杯と、国内で試しに醸した一杯、商品として売られた一杯は、同じ「最初」ではありません。来た、味わった、醸した、売った、飲ませた。5つの入口から、記録をたどります。

先に結論
動画版(10分34秒)。映像はAIによる再現イメージです。
① 来た|1613年、平戸に届いたビール
キリンの歴史年表は、1613年、イギリス船クローブ号が平戸に入港し、積み荷にビールがあったと紹介しています。ただし、年表の表現も「最古の記録か」。日本への到来を考える手がかりであり、これ以前には一滴も来ていなかった、と証明する記録ではありません。[1]
ここで分かるのは「運ばれてきた」ことです。誰が日本人として最初に口にしたのか、町の人に広く飲まれていたのかは、別の問いになります。到来の年と、日常の飲み物になるまでの歴史を分けて見ていきましょう。
② 味わった|1724年、「何のあぢはひも」
江戸の長崎屋に滞在したオランダ商館長一行が、ビールをふるまった場面。通詞の今村市兵衛と名村五兵衛がまとめた『和蘭問答』には、「殊の外悪敷物にて何のあぢはひも無御座候」とあります。現在の感覚なら、ひどいもので味わいもない、という厳しい感想です。引用はキリンの紹介文によります。[2]
同じ記述には「ちんちんとならし合せ候」と、杯を合わせる様子も出てきます。乾杯を思わせる場面ですが、記録された感想を、その時代の日本人全員の評価に広げることはできません。[2]
大槻玄沢の『蘭説弁惑』では、「飲食の消化をたすくるものといふ」と紹介されます。これは当時の理解を示す言葉です。1788年の序と、ここで参照する1799年刊の板本を区別して読みます。[12]

③ 醸した|出島の試醸と、川本幸民の伝承
出島のオランダ商館長ドゥーフは、届かなくなったビールを自分で造ろうとしました。キリンが紹介する回想録の邦訳によると、辞書を頼りに試したものの、十分に発酵させられず、ホップもなく、数日しか保存できませんでした。[3]
キリンはこの試醸を1812年とします。一方、日本生物工学会誌に掲載された、小西酒造の辻巌による復元醸造の報告は1807年と記します。試みが語られていることと、その年を確定できることは別です。本記事では1812年説を軸に、異説も残します。[3][4]
日本人の試醸では、蘭学者・川本幸民が1853年頃、江戸の自宅で造ったといわれます。『化学新書』には醸造法が詳しく記され、家族に伝わった試飲会の話もあります。ただし、技術の記述と実施を裏付ける記録は同じではありません。誰が最初に成功したかを決める根拠としては慎重に扱います。[4][5]
④ 売った|横浜の泉の谷から、国産ビールへ
商売としての醸造を見ると、1869年には横浜山手にジャパン・ヨコハマ・ブルワリーが開かれています。翌1870年、コープランドが天沼の湧き水の地に建てたのが、スプリングバレー・ブルワリー。「泉の谷の醸造所」という名の舞台です。[6][7]
仕込みは寒い季節に行い、水車で麦芽を挽く。1877年には低温殺菌法も取り入れました。馬車は1日2回、横浜の町を巡って販売し、東京・長崎・函館や海外にも出荷します。造る技術だけでなく、届ける仕組みが事業を支えました。[7][8]
工場のビヤサルーンは、できたてを飲む場所にもなりました。キリンの年表は1875年にビアガーデンが開かれていたと記します。瓶を買って帰る以外にも、醸造所へ足を運んで飲む楽しみが生まれていました。[6][19]
大阪では1872年に渋谷(しぶたに)庄三郎が渋谷ビールを発売。札幌では1876年、開拓使麦酒醸造所が開かれ、中川清兵衛が醸造主任に就きます。国産化は横浜だけの物語ではありません。[6]
『安愚楽鍋』3編下の挿絵には「ビイル十八匁」の品書きが見えます。この挿絵は1872年刊の3編で、初編の1871年と分けて扱います。物語に描かれた値段を全国共通の相場とはみなさず、現代の円への単純換算もしません。[13]
1876年の『家庭叢談』は「日本製ノ品多シ」と、流行するビールの国産品に触れています。続く文章が伝えるのは、輸入品の瓶や商標を使って売る問題です。「国産品が増えた」という一節の背景には、舶来品への信頼も見えてきます。[14]
スプリングバレーは1884年に経営難で閉鎖しますが、跡地には1885年にジャパン・ブルワリーが設立され、1888年にキリンビールを発売します。国産会社の数は1887年頃にピークを迎え、1891年頃には小規模な醸造所の閉鎖が相次ぎました。広がる市場の裏には、競争と事業の交代もありました。[8][9]

⑤ 飲ませた|1899年のビヤホール、その前にも
「ビールを飲ませる店」の歩みをたどると、幕末へ戻ります。1865年、横浜山手にビア・アンド・コンサート・ホールが開業しました。1895年には大阪・中之島で、屋外でビールを楽しむ「ビール会」も開かれています。[10][11]
1899年8月4日、新橋駅近くに恵比寿ビヤホールが開店。煉瓦造りの建物の2階で、床はリノリウム、椅子やテーブルには樽材が使われました。0.5リットルが10銭。年表は1日平均800人ほどのにぎわいを伝え、ときには「売切申候」の札が出たといいます。[9][11]
この店は「日本初のビヤホール」と紹介されますが、ビールを提供した店そのものの始まりとは分ける必要があります。キリンの解説も、先行する施設に触れたうえで「ビアホール」という名称の登場を説明しています。呼び名と店の形、客層を分けると、複数の「最初」が見えてきます。[10][11]
酒屋の店先から、いまの「生」へ
店で酒を飲む文化は、ビールより前からありました。豊島屋本店は1596年、神田鎌倉河岸での創業を伝えています。食文化史研究者・飯野亮一の解説によると、1811年の江戸では飲食を扱う7,604軒のうち、居酒屋が1,808軒を占めていました。詳しくは居酒屋のはじまりでも紹介しています。[16][17]
そして現在の「生ビール」は、樽から注ぐかどうかだけで決まりません。1979年に定められた表示の規約では、熱処理をしていないことが条件になりました。ビールの来航から、醸造、店の広がり、表示の定義へ。今夜の一杯につながる歴史には、それぞれ異なる節目があります。[15]
「日本初」という説をどう読むか
日本のビールの年表|1613〜1979年
横浜に残る、醸造家の足跡
醸造所のあった一帯は、現在の横浜市立北方小学校やキリン園公園の周辺です。公園には麒麟麦酒開源記念碑があり、町の中に醸造の歩みが残っています。[19]
1902年に亡くなったコープランドは、横浜外国人墓地に眠っています。2023年の121年忌には墓前への献酒も報じられました。一人の醸造家をしのぶ一杯が、横浜のビール史を伝えています。[18][20]
むすび
ビールが来た年、造ろうとした人、売り続けた醸造所、飲みに行く店。その違いをたどると、「日本のビールのはじまり」は、一つの発明ではなく、何度も姿を変えながら暮らしに入ってきた歴史として見えてきます。
出典・参考資料
- [1]キリン歴史ミュージアム「年表・〜幕末」当事者資料 1613年の来航記録と、最古かという留保 / 閲覧日 2026-09-28 資料を見る
- [2]キリン歴史ミュージアム「1724年」当事者資料 『和蘭問答』の引用と長崎屋の場面。原本は今回未確認 / 閲覧日 2026-09-28 資料を見る
- [3]キリン歴史ミュージアム「1812年」当事者資料 ドゥーフの試醸。永積洋子訳『日本回想録』を紹介する解説 / 閲覧日 2026-09-28 資料を見る
- [4]辻巌「日本橋茅場町で造られた日本最初のビール“幸民麦酒”」『生物工学』89巻2号(2011)研究・専門書 1807年説と川本家の伝承。筆者は復元商品を手がけた小西酒造所属で、当事者性にも留意 該当箇所:p.84–85 / 閲覧日 2026-09-28 資料を見る
- [5]キリン歴史ミュージアム「1853年」当事者資料 幸民の実験を伝承として扱う理由 / 閲覧日 2026-09-28 資料を見る
- [6]キリン歴史ミュージアム「年表・1868〜1885」当事者資料 1869年の醸造所、渋谷ビール、1875年のビアガーデン、開拓使麦酒醸造所 / 閲覧日 2026-09-28 資料を見る
- [7]キリン歴史ミュージアム「1870年」当事者資料 天沼の立地、馬車販売と販路 / 閲覧日 2026-09-28 資料を見る
- [8]キリン歴史ミュージアム「コープランド」当事者資料 水車、冬仕込み、低温殺菌、閉鎖と跡地の新会社、生没年 / 閲覧日 2026-09-28 資料を見る
- [9]キリン歴史ミュージアム「年表・1886〜1912」当事者資料 会社数の推移、キリン発売、ビヤホールの客数 / 閲覧日 2026-09-28 資料を見る
- [10]キリン歴史ミュージアム「1865年」当事者資料 ビア・アンド・コンサート・ホールの開業広告の紹介 / 閲覧日 2026-09-28 資料を見る
- [11]キリン歴史ミュージアム「1899年」当事者資料 大阪ビール会、新橋の店の開店日・内装・価格・札・名称 / 閲覧日 2026-09-28 資料を見る
- [12]大槻玄沢『蘭説弁惑』板本(1799年刊、1788年序)一次史料 保存済みの国立国会図書館画像を目視確認。麦から造る酒と食後の消化についての記述 該当箇所:コマ20(上巻六〜七丁) / 閲覧日 2026-09-28 資料を見る
- [13]仮名垣魯文『安愚楽鍋』3編(1872年)一次史料 保存済みの国立国会図書館画像を目視確認。壁の品書き「ビイル十八匁」 該当箇所:3編下・コマ51 / 閲覧日 2026-09-28 資料を見る
- [14]『家庭叢談』第15号(慶応義塾出版社、1876年)一次史料 保存済みの国立国会図書館画像を目視確認。国産ビールの流行と輸入品の瓶・商標を使った販売への言及 該当箇所:コマ5・本文4頁 / 閲覧日 2026-09-28 資料を見る
- [15]キリンお客様相談室「生ビールとは、どういうビールですか?」当事者資料 1979年の公正競争規約と、生ビールの表示条件 / 閲覧日 2026-09-28 資料を見る
- [16]豊島屋本店 公式サイト当事者資料 1596年、神田鎌倉河岸での創業の説明 / 閲覧日 2026-09-28 資料を見る
- [17]飯野亮一「江戸の居酒屋文化(1)」キッコーマン食文化講座(2015)二次資料 食文化史研究者による解説。1811年の飲食店7,604軒・居酒屋1,808軒 / 閲覧日 2026-09-28 資料を見る
- [18]神奈川新聞(カナロコ)2023年記事報道 2023年の121年忌の献酒。既存記事の確認記録を継承(2026-09-28の再取得はアクセス制限で未完了) / 閲覧日 2026-08-27 資料を見る
- [19]キリン歴史ミュージアム「スプリングバレー・ブルワリーの醸造」当事者資料 ビアサルーンの建物、水車と仕込み、現在の跡地 / 閲覧日 2026-09-28 資料を見る
- [20]キリン歴史ミュージアム「コープランドの人生」当事者資料 1902年の死去、横浜外国人墓地にある墓 / 閲覧日 2026-09-28 資料を見る
公開:2026年9月4日
2026年9月28日:動画を本編「日本で最初のビールはいつ、誰が造ったのか。【史料で再現】」(10分34秒)に差し替えました。
2026年9月28日:来航・味の記録・試醸・販売・飲む場所の5つの問いから全面改稿。史料画像と1613〜1979年の年表を追加し、ドゥーフの年代異説と『安愚楽鍋』3編の刊年を明記しました。
2026年9月7日:導入・見出し・本文の表現を整理しました。出典と、伝承・未確認事項についての注記は残しています。
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