醤油のはじまりはいつ?
捨てていた汁と伝わる、紀州湯浅の「最初の一滴」

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「醤油の始まりは、捨てていた汁だった」——紀州湯浅に伝わるこの話は、文化庁の日本遺産ストーリーにもなっています。ただし、同時代の史料が残っているわけではありません。伝承と確かな記録を分けて、たどります。

先に結論

  • 鎌倉時代、宋から帰った僧・覚心が紀州湯浅に径山寺味噌の製法を伝えます。味噌造りの桶に溜まる、それまで捨てていた汁をなめると芳醇な味がした——これが醤油の始まりと伝えられています[2][1]
  • この話は文化庁の日本遺産「『最初の一滴』醤油醸造の発祥の地 紀州湯浅」のストーリーですが、同時代の史料はなく、「伝えられる」の強さです[2]
  • 醤油そのもののルーツをたどると、701年の大宝律令に醤(ひしお)を扱う役所が定められています[1]
  • 確かな数字は江戸にあります。1726年には江戸市場の醤油の約76%が上方からの「下り醤油」でしたが、1821年には約98%が関東産に。濃口醤油が江戸の味を作りました[5][4]

1分の動画版。映像はAIによる再現イメージです。

湯浅に伝わる「最初の一滴」

鎌倉時代の1249年、僧・覚心(法燈国師)は宋に渡り、径山寺で修行して1254年に帰国します。持ち帰ったのが、野菜を漬け込むおかず味噌「径山寺味噌」の製法でした。これが紀州湯浅に伝わります。[2][1]

味噌を造る過程で、桶に汁が溜まります。それまでは捨ててしまっていたこの汁をなめてみると、芳醇な味がした——これが醤油(たまり醤油に近いもの)の始まりだったと伝えられています。[2][1]

ただし、この経緯を記した同時代の史料はありません。文化庁の日本遺産ストーリーも醤油業界の資料も、語尾は「伝えられる」です。また、キッコーマンのように、古代中国から伝わった醤(ひしお)の系譜で醤油の成り立ちを説明する資料もあります。[2][1][4]

もっと古い「醤」の記録

醤油の遠いルーツとされる醤(ひしお)は、古代からの調味料です。701年の大宝律令には、宮内省の大膳職に醤を扱う部署が定められており、奈良時代の朝廷で醤が使われていたことは記録から分かります。[1]

つまり「発酵させた大豆の調味料」の歴史は古代からあり、湯浅の伝承は、その系譜の中で「いまの醤油の形」がどう生まれたかを語る物語ということになります。[1][2]

江戸で「日本の味」になる

醤油が日本の味になった場所は、江戸です。江戸初期、醤油は上方から船で運ばれる「下り醤油」が主流で、1726年には江戸市場の約76%を占めていました。[5]

それを変えたのが関東の醸造地です。銚子では1616年からたまり醤油の醸造が始まり、1697年には小麦を原料に使った現在の濃口醤油が開発されたと、ヒゲタ醤油は伝えています。銚子・野田は江戸中期に一大産地となり、1821年には江戸市場の約98%が関東産の「地廻り醤油」になりました。[3][4][5]

にぎりずし、天ぷら、そば、うなぎの蒲焼——江戸で生まれた食は、濃口醤油とともに育ちました。[4]

「捨てていた汁」はどこまで確かなのか

資料から確認できること

701年の大宝律令に醤を扱う部署が定められていること。湯浅の伝承が文化庁の日本遺産ストーリーとして認定されていること(2017年)。1697年の濃口開発をヒゲタ醤油が自社史として伝えていること。江戸市場の産地交代の数字(1726年約76%が下り醤油→1821年約98%が関東産)。[1][2][3][5]

現時点では断定できないこと

覚心が湯浅に製法を伝え、捨てていた汁から醤油が生まれたという経緯そのもの(同時代史料はなく「伝えられる」の強さ)。「醤油」という言葉の初出(1568年説と1597年説があり、この記事では扱っていません)。

醤油の年表

701年

大宝律令に醤を扱う部署

分類:文献の記録確度:確認できる

宮内省大膳職に「醤院」が定められる。醤油の遠いルーツとされる醤の記録。 [1]

1254年ごろ

覚心が径山寺味噌の製法を持ち帰る

分類:伝承・発祥説確度:有力

紀州湯浅に伝わり、桶に溜まる「捨てていた汁」が醤油の始まりと伝えられる。 [2][1]

1616年

銚子でたまり醤油の醸造が始まる

分類:普及・商品化確度:有力

ヒゲタ醤油の社史による。1697年には小麦を使う現在の濃口醤油を開発したと伝える。 [3]

1726年→1821年

江戸市場の醤油が関東産へ交代

分類:普及・商品化確度:確認できる

下り醤油約76%(1726年)→関東産約98%(1821年)。濃口が江戸の味になる。 [5][4]

2017年

湯浅が日本遺産に認定される

分類:現在・継承確度:確認できる

「『最初の一滴』醤油醸造の発祥の地 紀州湯浅」。伝統の醸造がいまも続く。 [2][6]

湯浅の現在

湯浅町は2017年、「『最初の一滴』醤油醸造の発祥の地 紀州湯浅」として日本遺産に認定されました。文化年間には92軒の醸造業者が並んだ町並みが残り、いまも伝統製法の蔵が醤油を造り続けています。[2][6]

始まりは捨てていた汁だったと、湯浅はいまも伝えています。その一滴は、いまや日本の味です。[2]

むすび

確かな史料で言えるのは、古代の醤の記録と、江戸の産地交代の数字まで。それでも「捨てていた汁が日本の味になった」という湯浅の物語は、日本遺産のストーリーとして生き続けています。

出典・参考資料

  • [1]醤油情報センター(日本醤油協会)「しょうゆの歴史」当事者資料 醤院の記述・覚心と溜醤油の伝承・醤のルーツ / 閲覧日 2026-08-18 資料を見る
  • [2]文化庁 日本遺産「『最初の一滴』醤油醸造の発祥の地 紀州湯浅」公的機関 覚心・径山寺味噌・「それまでは捨ててしまっていた」汁の伝承ストーリーと認定 / 閲覧日 2026-08-18 資料を見る
  • [3]ヒゲタ醤油公式当事者資料 1616年銚子で醸造開始・1697年に小麦を用いた濃口醤油を開発とする自社史 / 閲覧日 2026-08-18 資料を見る
  • [4]キッコーマン「しょうゆの歴史」当事者資料 江戸の食と濃口醤油・下り醤油から関東産への流れ・醤の系譜による説明 / 閲覧日 2026-08-18 資料を見る
  • [5]キッコーマン国際食文化研究センター「江戸の醤油」当事者資料 1726年に約76%が下り醤油、1821年に約98%が関東産という江戸市場の数字 / 閲覧日 2026-08-18 資料を見る
  • [6]湯浅町公式当事者資料 日本遺産認定と醸造の町並みの現在 / 閲覧日 2026-08-18 資料を見る

公開:2026年9月4日

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