かつお節のはじまりはいつ?
わざと生やしたカビが、最高級を作った

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世界一硬い食べ物といわれるかつお節は、腐らせないために、わざとカビを生やした食べ物です。千三百年前の税の記録から、毒をもって毒を制した発明、最高級・本枯節への道のりまで、資料からたどります。

先に結論

  • かつお節の源流は古代の保存食です。701年の大宝律令に「堅魚(かたうお)」の献納が定められ、平城宮跡からは伊豆国が税として納めた堅魚の荷札木簡(746年)が出土しています[1][2]
  • 1670年代、紀州印南の漁師・角屋甚太郎が土佐で、煙でいぶして乾かす燻乾法を編み出したと伝わります。ところが土佐から江戸へ運ぶ船の中で、悪いカビが生える問題が起きました[3][7]
  • 二代目甚太郎は逆の手を打ちます——先に良いカビを生やして悪いカビを防ぐ。この「カビ付け」の発想が、かつお節を変えました[3][4]
  • やがて江戸の問屋は、カビを付けては払うのを繰り返すと旨くなることに気づきます。これがのちに最高級品「本枯節」の製法につながりました。いまは鹿児島の枕崎・山川と静岡の焼津の3地域で、日本のかつお節の約98%が作られています[4][6]

1分の動画版。映像はAIによる再現イメージです。

千三百年前、かつおは税だった

かつおの保存食の歴史は、記録で確認できる範囲でも千三百年さかのぼります。701年の大宝律令には「堅魚」「煮堅魚」「堅魚煎汁」の献納が定められ、煮て干したかつおが朝廷への税として納められていました。[1]

物証もあります。平城宮跡からは、伊豆国が税として納めた堅魚の荷札木簡(746年)が出土しています。奈良の都に、伊豆から荷札つきで堅魚が届いていたのです。[2]

毒をもって毒を制す

いまのかつお節に近づく転機は江戸時代です。1670年代、紀州印南(現・和歌山県印南町)の漁師・角屋甚太郎が土佐で、かつおを煙でいぶして乾かす燻乾法を編み出したと伝わります。かつお節はぐっと硬く、保存が利くようになりました。[3][7]

ところが問題が起きます。土佐から江戸へ船で運ぶあいだに、悪いカビが生えるのです。二代目甚太郎の答えは逆転の発想でした——先に良いカビを生やして、悪いカビの入り込む余地をなくす。「カビ付け」の誕生です。[3][4]

カビは水分を吸い、脂肪を分解し、香りを引き出します。腐らせないための工夫が、味を良くする技術になりました。[4]

問屋の発見と、本枯節への道

やがて江戸の問屋は、カビを付けては払うのを繰り返すほど旨くなることに気づきます。この繰り返しの製法が、のちに最高級品「本枯節」につながっていきました(確立時期は「江戸後期」「明治30年頃」と資料に幅があり、特定の年には断定できません)。[4]

製法は門外不出とされましたが、土佐与市という人物が掟を破って1781年に安房、1801年に伊豆へ伝え、かつお節は全国に広まったと伝えられています。[3][7]

「ギネス登録」は確認できない

「かつお節は世界一硬い食べ物としてギネスに登録されている」という話をよく聞きますが、ギネス世界記録にかつお節の登録は確認できません。メーカー各社や農林水産省も、そのようには書いていません。[1][4]

この記事と動画では「世界一硬い食べ物といわれる」という言い方に留めています。本枯節の水分は15%以下で、叩くと乾いた木のような音がする——確かな事実だけで、十分に驚きの食べ物です。[6][4]

「かつお節のはじまり」はどこまで確かなのか

資料から確認できること

大宝律令の堅魚の献納と平城宮跡の荷札木簡(746年)。カビ付けが保存性と風味を高める仕組み(当事者の説明)。現在の3地域(枕崎・山川・焼津)で約98%という生産の集中。にんべんが1699年創業で現在も日本橋で本枯節を扱っていること。[1][2][4][5][6]

現時点では断定できないこと

燻乾法の年(資料により1600年代半ば〜1674年と幅があり「1670年代」としています)。角屋甚太郎父子と土佐与市の事績は産地・顕彰自治体の伝承に基づきます。本枯節の確立時期(資料に幅)。「世界一硬い食べ物としてギネス登録」は登録が確認できません。

かつお節の年表

701年・746年

堅魚が税として納められる

分類:文献の記録確度:確認できる

大宝律令の規定と、平城宮跡出土の伊豆国の荷札木簡。 [1][2]

1670年代

角屋甚太郎が燻乾法を編み出す

分類:伝承・発祥説確度:有力

紀州印南の漁師が土佐で考案と伝わる。二代目がカビ付け法を考案。 [3][7]

江戸中期〜

カビ付けの繰り返しが本枯節へつながる

分類:原型・変化確度:有力

江戸の問屋が良質化に気づき、枯節が定着。確立時期は資料に幅がある。 [4]

1781年・1801年

土佐与市が製法を各地へ伝える

分類:普及・商品化確度:有力

門外不出の製法が安房・伊豆へ。かつお節が全国に広まったと伝わる。 [3][7]

いま

3地域で約98%を生産

分類:現在・継承確度:確認できる

枕崎・山川・焼津。日本橋では1699年創業のにんべんが本枯節を売り続ける。 [6][5]

産地の三つの町と、日本橋

いまの産地は、鹿児島県の枕崎市と指宿市山川、静岡県の焼津市。この3地域で日本のかつお節の約98%が作られています。[6]

江戸の日本橋では、元禄12年(1699年)創業のにんべんが、いまも本枯節を売り続けています。悪いカビを防ぐための工夫は、三百年たって、日本のだしになりました。[5][4]

むすび

わざと生やしたカビが、最高級を作りました。腐らせないための知恵が味の技術に変わる——かつお節は、日本の保存食の到達点です。

出典・参考資料

  • [1]農林水産省(かつお節・伝統食材の解説)公的機関 大宝律令の堅魚・煮堅魚・堅魚煎汁の献納の解説 / 閲覧日 2026-08-18 資料を見る
  • [2]文化庁 文化遺産オンライン(平城宮跡出土木簡)公的機関 伊豆国の堅魚の荷札木簡(746年) / 閲覧日 2026-08-18 資料を見る
  • [3]和歌山県印南町公式(角屋甚太郎)当事者資料 角屋甚太郎の燻乾法・二代目のカビ付け・土佐与市の伝承 / 閲覧日 2026-08-18 資料を見る
  • [4]にんべん公式(カビ付けの解説)当事者資料 カビ付けの仕組み(水分・脂肪・香り)・枯節と本枯節の製法 / 閲覧日 2026-09-02 資料を見る
  • [5]にんべん公式・沿革当事者資料 1699年(元禄12年)日本橋創業・現在も日本橋室町で本枯鰹節を販売 / 閲覧日 2026-09-02 資料を見る
  • [6]鹿児島県かつお節協同組合(生産量資料)当事者資料 枕崎・山川・焼津の3地域で全国の約98%という生産の集中・本枯節の水分 / 閲覧日 2026-08-18 資料を見る
  • [7]和歌山県「わかやま歴史物語」公的機関 角屋甚太郎父子と土佐与市の物語(1781年安房・1801年伊豆への伝播) / 閲覧日 2026-08-18 資料を見る

公開:2026年9月4日

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