「弔いの花火」の話は、いつからある?
両国花火の有名な由来を、研究がたどり直した

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「両国の花火は、飢饉と疫病の死者を弔うために八代将軍吉宗が始めた」——花火大会の由来として有名なこの話には、当時の史料の裏付けがないとする研究があります。"いい話"がどう作られたのかを、たどります。

先に結論

  • 有名な由来はこうです——享保18年(1733年)、前年の飢饉と疫病の死者を弔うため、吉宗が隅田川の川開きで花火を上げさせた。これが両国花火の始まり[1]
  • しかし墨田区郷土文化資料館の学芸員・福澤徹三氏の研究(2018年)によれば、この由来は江戸時代の史料には確認できず、明治24年から昭和9年ごろの約40年間で段階的に形成された伝承とされます[1][2][4]
  • 研究がたどった形成過程では、1891年(明治24年)の新聞は「花火屋の宣伝で始まった」と説明しており、「享保十八年」という年の初出は1903年(明治36年)の新聞記事とされます(根拠の記載はなし)[1][2]
  • 「水神祭」の要素は1923年(大正12年)に加わり、「コレラ・慰霊・幕府主導」の形は1934年(昭和9年)の公式パンフレットで完成したとされます。なお、コレラの日本初流行は1822年で、享保の江戸にコレラはありません[1][2]

1分の動画版。映像はAIによる再現イメージです。

よく聞く「いい話」

花火大会の由来としてよく語られるのは、次の筋書きです。享保17年(1732年)、大飢饉と疫病で多くの人が亡くなった。翌年、八代将軍吉宗は死者の慰霊と悪疫退散を祈り、隅田川の川開きに花火を上げさせた——両国花火、すなわち今日の隅田川花火大会の始まり、というものです。[1]

手元の資料では、この由来はいまも花火大会の公式サイトや自治体の紹介、花火業者の沿革などで「〜とされています」の形で語られています。「いまも広く語られている」こと自体は事実です。[1][3]

研究がたどり直した成り立ち

この由来を史料からたどり直したのが、墨田区郷土文化資料館の学芸員・福澤徹三氏の研究(2018年)です。同研究によれば、「享保18年・慰霊・幕府主導」という要素は江戸時代の史料には確認できないとされます。[1][2][4]

研究が示す形成過程はこうです。1891年(明治24年)の新聞は両国花火の始まりを「花火屋の宣伝」と説明していました。「享保十八年」という年が現れるのは1903年(明治36年)の新聞記事で、根拠は記されていません。「水神祭」の要素は1923年(大正12年)に加わり、1934年(昭和9年)の公式パンフレットで「コレラ・慰霊・幕府主導」の物語が完成した——約40年かけて、由来が段階的に育っていったとされます。[1][2]

傍証もあります。コレラの日本初流行は1822年(文政5年)で、享保年間の江戸にコレラは存在しません。また、隅田川の花火の史料上の初見は寛永5年(1628年)で、「享保18年に始まった」という枠組み自体が成り立ちません。[2][3]

伝承と、どう付き合うか

業界団体の日本煙火協会の解説冊子「花火入門」について、NEWSつくばは、平成30年度版(2018年)にあったこの由来の記述が令和元年度版(2019年)から消えたと報じています。同記事によれば、協会は変更の根拠として福澤氏の論考を挙げたとのことです。当サイトでも、2026年版に当該記述がないことを確認しました。[2][3]

それでも、この"いい話"が消えることはないでしょう。慰霊と花火を結びつける感覚は、現代の追悼花火にも生きています。物語を求めたのは、私たち自身です。この記事は誰かを責めるためではなく、「事実」と「物語」を分けて楽しむために書いています。[1]

この検証はどこまで確かなのか

資料から確認できること

福澤徹三氏の研究(2018年)が伝承の形成過程(明治24年〜昭和9年)を示していること。コレラの日本初流行が1822年であること。隅田川花火の史料上の初見が1628年とされること。日本煙火協会の冊子の2026年版に当該記述がないこと(当サイトで直接確認)。[1][2][3]

現時点では断定できないこと

「弔いの由来は完全な作り話」とまでは断定しません。この記事で言えるのは「研究が、当時の史料に確認できず明治以降に形成された伝承と結論づけている」ところまでです。研究の原典(福澤2018)は書誌を通じた参照で、原論文の直接確認は今後の課題として記録します。冊子から記述が「2019年版から消えた」という変更時期は報道(NEWSつくば)によるもので、当サイトは2018年版・2019年版を直接比較していません。

「弔いの花火」伝承の年表

1628年

隅田川の花火の史料上の初見

分類:文献の記録確度:有力

寛永5年。「享保18年開始」の枠組みと合わない前史。 [3]

1891年

新聞は「花火屋の宣伝で始まった」と説明

分類:文献の記録確度:有力

明治24年。慰霊の物語はまだない、と研究は指摘する。 [1][2]

1903年

「享保十八年」が新聞に初めて現れるとされる

分類:伝承・発祥説確度:有力

明治36年。根拠の記載はなかったとされる。 [1][2]

1934年

「コレラ・慰霊・幕府主導」の物語が完成とされる

分類:伝承・発祥説確度:有力

昭和9年の公式パンフレット。約40年かけて伝承が形になった。 [1][2]

2019年〜

業界団体の冊子から記述が消えたと報じられる

分類:研究・再評価確度:有力

NEWSつくばによれば、日本煙火協会「花火入門」の令和元年度版から当該由来の記述が消えた。当サイトは2026年版に記述がないことを確認。 [2][3]

物語は、いまも生きている

「弔いの花火」の物語は、いまも花火大会の紹介などで語られ続けています。研究が形成過程を明らかにした後も、物語には物語の役割があります。[1]

事実としての花火の歴史(鍵屋・玉屋・禁止令)は、別記事「日本の花火のはじまり」でたどっています。[3]

むすび

"いい話"は、嘘つきが作るのではなく、物語を求める私たちが少しずつ育てるもの——両国花火の由来は、その見本のような40年でした。

出典・参考資料

  • [1]Wikipedia「隅田川花火大会」(由来の節)三次資料 調査の入口として参照。福澤徹三氏の研究(2018年)を典拠とする伝承形成過程の整理 / 閲覧日 2026-08-26 資料を見る
  • [2]NEWSつくば連載(伝承の形成過程の解説記事)報道 明治24年の新聞・明治36年の「享保十八年」初出・大正12年の水神祭・昭和9年のパンフレットという形成過程の解説。日本煙火協会「花火入門」の記述が平成30年度版にあり令和元年度版から消えたこと、変更の根拠が福澤氏の論考であること(協会専務への取材) / 閲覧日 2026-08-26 資料を見る
  • [3]日本煙火協会「花火入門」(2026年版)当事者資料 2026年版に当該由来の記述がないこと(当サイトで直接確認)・隅田川花火の史料上の初見 / 閲覧日 2026-08-26 資料を見る
  • [4]福澤徹三『花火/下町/隅田川 両国花火250周年記念誌』ほか関連研究(2018年)研究・専門書 伝承の形成過程を示した研究(Wikipediaと解説記事経由で参照。原典は未確認のため、この記事は「研究によれば」の帰属表現で書いています) / 閲覧日 2026-08-26 資料を見る

公開:2026年9月4日

2026年9月4日:公開前の最終監査を受け、冊子の記述が「2019年版以降に削除された」という変更時期は報道(NEWSつくば)に帰属する表現に改め、当サイトが直接確認したのは2026年版に記述がないことまで、と明示しました。年表の確度を「有力」に下げています。

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