唐揚げのはじまりはいつ?
江戸の「唐揚」は豆腐、鶏は銀座の経営不振から

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唐揚げの「はじまり」を一つに決めることはできません。名前の初出級の記録は江戸時代の豆腐料理、外食の鶏唐揚げは昭和の銀座、専門店の文化は大分——それぞれ別の物語です。資料からたどります。

先に結論

  • 江戸時代の料理書『普茶料理抄』(1772年)にある「唐揚」は、豆腐を小さく切って油で揚げ、醤油と酒で煮た料理と紹介されています[5][1]
  • 外食メニューでの鶏唐揚げの初登場は1932年(昭和7年)、東京・銀座の三笠会館の支店とされます。経営不振の打開策として、料理長が考案したと伝えられています[2][5][3]
  • いま唐揚げで有名な大分の文化は、東京から伝わったものではなく、昭和30年代に宇佐市の中華料理店から別に始まったとされます[6][1]
  • 家庭への普及は戦後。ブロイラーの普及で鶏肉が安価になり、1974年には家庭用の「から揚げ粉」が発売されました[1][7]

1分の動画版。映像はAIによる再現イメージです。

江戸の「唐揚」は豆腐だった

「唐揚」という言葉の古い記録は、江戸時代の料理書『普茶料理抄』(1772年)にあります。ただしそれは鶏ではなく、豆腐を小さく切って油で揚げ、醤油と酒で煮た料理でした。読みも「からあげ」「とうあげ」の両説があります。[5][1]

この料理を載せていた普茶料理は、江戸時代に中国から伝わった黄檗宗の中国風精進料理です。つまり「唐揚」の「唐」は、中国風の料理だったことを示しています。[5][8]

なお、江戸の「唐揚」と現在の「唐揚げ」という呼び名に連続性があるかは分かっていません。ここで言えるのは、名前の初出級の記録が豆腐料理だった、というところまでです。[5]

鶏の唐揚げは、経営不振の銀座から

外食メニューとしての鶏唐揚げの初登場は、1932年(昭和7年)ごろ、東京・銀座の三笠会館の支店(鶏料理専門の食堂)とされます。店は経営不振に苦しんでおり、打開策として当時の料理長が「若鶏の唐揚」を考案したと、業界紙の取材や当事者の説明は伝えています。[2][5][3]

中国の揚げ物料理がヒントだったと伝えられ、醤油・焼酎・砂糖の特製だれの基本は昭和7年から変わらないとされます。この一皿はたちまち名物になり、店は持ち直したといいます。戦後の食糧難の時代も「唐揚げだけは切らさなかった」という逸話も、当事者の記録として伝わっています。[2][4]

「外食初」はあくまで当事者の証言と業界紙・業界団体の記述に基づく通説です。この記事でも「とされます」に留めます。[2][5]

大分の唐揚げは、東京とは別の物語

唐揚げの本場として知られる大分県の文化は、東京から伝わったものではありません。昭和30年代、養鶏が盛んだった宇佐市の中華料理店「来々軒」の唐揚げが評判になり、その揚げ方を習った店がのちに唐揚げ専門店へ転換した——宇佐市はこの経緯から「からあげ専門店発祥の地」とされています。[6][1]

隣の中津市は、日本唐揚協会から「から揚げの聖地」と呼ばれる唐揚げ店の密集地になりました。詳しくは別記事「大分からあげのはじまり」でたどります。[5][1]

家庭の定番になるまで

唐揚げが家庭にやってきたのは戦後です。1950年代から米国系のブロイラーが導入され、1960年代に大量生産が本格化して、鶏肉は安く身近な食材になりました。[1]

1974年(昭和49年)には日清製粉(現・日清製粉ウェルナ)が家庭用の「から揚げ粉」を発売し、大ヒットになったと同社は紹介しています。唐揚げはこうして、家庭と弁当の主役になっていきました。[7][1]

「唐揚げ発祥」はどこまで確かなのか

資料から確認できること

『普茶料理抄』(1772年)の「唐揚」が豆腐の料理として紹介されていること。三笠会館の支店が1932年ごろに「若鶏の唐揚」を出し、外食での初登場とされていること。大分の唐揚げ文化が宇佐市の中華料理店を起点とすると宇佐市側が説明していること。1974年に家庭用から揚げ粉が発売されたこと。[5][2][6][7]

現時点では断定できないこと

「外食初の鶏唐揚げ=三笠会館」は当事者証言と業界紙・業界団体に基づく通説で、それ以前に出した店が絶対にないとまでは言えません。開始年を昭和26年とする記事もあります。江戸の「唐揚」と現在の呼び名の連続性、唐揚げと竜田揚げの区別も、諸説あり断定できません。

唐揚げの年表

1772年

『普茶料理抄』に豆腐の「唐揚」

分類:文献の記録確度:確認できる

豆腐を揚げて醤油と酒で煮た料理。「唐揚」の語の初出級の記録とされる。 [5][1]

1932年ごろ

銀座・三笠会館の支店で「若鶏の唐揚」

分類:伝承・発祥説確度:有力

経営不振の打開策として料理長が考案し、外食での鶏唐揚げの初登場とされる。 [2][5][3]

昭和30年代

大分・宇佐で専門店文化が始まる

分類:普及・商品化確度:有力

中華料理店「来々軒」を起点に、東京とは別の唐揚げ文化が広がったとされる。 [6][1]

1974年

家庭用「から揚げ粉」発売

分類:普及・商品化確度:確認できる

ブロイラー普及で安くなった鶏肉とともに、唐揚げが家庭の定番になっていく。 [7][1]

いま

銀座の店も、宇治の寺も続いている

分類:現在・継承確度:確認できる

三笠会館は銀座で唐揚げを出し続け、普茶料理は萬福寺に伝わっている。 [3][8]

二つの物語の現在

三笠会館はいまも銀座にあり、「若鶏の唐揚」を出し続けています。たれの基本は昭和7年から変わらないと同社は説明しています。[3][4]

いっぽう、豆腐の「唐揚」を載せていた普茶料理は、京都・宇治の黄檗山萬福寺にいまも伝わっています。別々に生まれた二つの物語は、片方は宇治の寺に、片方は日本中の食卓に続いています。[8]

むすび

「唐揚げのはじまり」は一つではありませんでした。江戸の豆腐、銀座の経営不振、大分の中華料理店——別々に生まれた物語が、同じ名前の一皿に流れ込んでいます。

出典・参考資料

  • [1]Wikipedia「から揚げ」三次資料 調査の入口として参照。『普茶料理抄』の記述・大分の経緯・ブロイラー普及の整理 / 閲覧日 2026-09-03 資料を見る
  • [2]日本食糧新聞「近代メニューのルーツ(8)若鶏の唐揚げ編」報道 外食初登場=三笠会館とする取材記事。経営不振・料理長の考案・戦後の逸話 / 閲覧日 2026-08-31 資料を見る
  • [3]三笠会館公式サイト当事者資料 現在も銀座で営業し「若鶏の唐揚」を提供していること / 閲覧日 2026-09-03 資料を見る
  • [4]日清製粉グループ「発祥の店・三笠会館に教わる」当事者資料 たれの構成と現在の作り方(漬け置きせず揉み込み) / 閲覧日 2026-09-03 資料を見る
  • [5]日本唐揚協会「唐揚の歴史」当事者資料 普茶料理の「唐揚」=豆腐料理(読み二説)・外食登場=昭和7年ごろ三笠会館の記述 / 閲覧日 2026-09-03 資料を見る
  • [6]宇佐市公式サイト当事者資料 来々軒を起点とする「からあげ専門店発祥の地」の説明 / 閲覧日 2026-09-01 資料を見る
  • [7]日清製粉グループ公式SNS投稿当事者資料 から揚げ粉を1974年に新発売し大ヒットとなったとの同社の紹介 / 閲覧日 2026-09-03 資料を見る
  • [8]黄檗山萬福寺公式サイト当事者資料 普茶料理が現在も伝わり提供されていること / 閲覧日 2026-09-03 資料を見る

公開:2026年9月4日

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